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涙の再会

旅の2日目。

幼い時に生き別れた子供と会ってきた。

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本州の西端に、海と山を頂く美しい町がある。

その子はそこで生まれ、育っている。

数年ぶりの再会は、僕がその町に出向くという形で実現した。


別れを決意した時、二度と会うことは無いだろうなと心のどこかで感じていた。

「もう過去の話だ。」

心の整理はつけたつもりでいた。あの時以来、前だけを向いて生きてきたつもりだ。

車のクーラーを切り、窓を開ける。

むせるような緑の香りと空気の密度が、自分の居場所ではないところへ向かうという緊張感を募らせる。

その子がいる町に近づくにつれ、風景や嗅覚の記憶とともに当時のことが鮮やかに蘇り、様々な思いで心がかき乱される。

あの子に、そして引き継いで育ててくれた関係者にどんな顔を下げて会うことができるんだろうか・・・





もう何年も走っていないのに不思議と道筋は覚えていて、迷うことなく辿り付く事ができた。

ついに、あんなに見慣れて、だけど忘れかけていた場所に立つ。


そして彼女はそこにいた。







美しい・・・







山を背景に、とても美しく佇むその姿に

思わず涙がこぼれた。


「この子はきっと美しくなるよ。」

生まれたての姿をみて、誰もがそう言っていた。

その当時の面影がはっきりと見てとれる。そして、その面影を残しつつ想像を遥かに超えた美しさで満ちていた。




産みの苦しみに立会い、

大切に大切に育てていたのに、

とても愛していたのに、

当時の若さからくる一時の気の迷いで全てを捨ててしまった。

そのことで多くの人に迷惑をかけたことへの反省はもちろんだけど、

何よりこの子の美しい成長過程に立ち会えなかった事への後悔の念で一杯になった。

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再会を果たした我が子、「豊北町統合中学校」です。

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(びっくりしましたぁ?)

以前務めていた事務所でプロポーザルから基本計画まで関わっていながら、途中で独立してしまい実施設計・監理まで関われなかった物件です。

設計に関わった建物は全部「子供」のようなもの。

この中学校は、誕生にまで関わりながら別れてしまった子供のようなもので、竣工した姿を目にした時は嬉しさや感動、後悔などが入り混じってとても複雑な心境になりました。

ということで、ちょっと思わせぶりな小説風書き出しにしてみました。

元上司である日本設計チーフアーキテクト岡村和典の細やかで美しい意匠の根元には、僕も心血を注いだ空間構成がそのまま実現しています。

計画当初から学校建築の権威、上野淳先生(旧東京都立大)がアドバイザーで関わられていました。
今回は、研究室で行っている追跡調査の一環として、設計者へのヒアリングをしたいとのことで、出向いたのでした。

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↑初代校長と、コーディネーターのK氏。
校長先生は、計画当初から議論を重ねた旧知の仲。途中でいなくなった僕を、真っ先に出迎え、歓迎してくださいました。校内も自ら案内してくださって・・・本当に嬉しかった。K氏はこの学校が成立したキーマンの一人。何事にも熱い男。再会して最初の一言は

「どうよ?あんたのアイディア、結構実現してるやろ?」

これまた嬉しいお言葉。


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クライアントである町(今は下関市豊北支所)の教育委員会を始め、熱意ある関係者が力を合わせて完成した学校建築の傑作です。

この中学校は、文部科学省のパイロットモデル指定校ということで、全国的に見てもかなり先進的な試みをしています。校長先生は各地の講演に引っ張りだこ。視察も目白押し。(詳細は忘れましたが)建築の賞を受賞。今後もどんどん応募して、受賞ラッシュになる予定(?)

そんな状況で、この学校ができる過程をドキュメンタリーとしてまとめることになり、今さらではあるけれど、お手伝いさせてもらうことになりました。

コウゴキタイ。

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