3の倍数と3がつく数字
「3の倍数と3がつく数字の時だけアホになる」という芸はなぜウケル?
笑いのツボなど人それぞれなので、この芸に全く笑えない方もいるでしょう。
ただ、ちょっとした社会現象になっているのは間違いないようで、特に小学校の算数の授業はこの芸のせいで大変なことになっているようです。
運動会の玉入れで、最後にみんなでかごの玉を数える時も、アホの大合唱になるとか。
放送作家・高須さんは「長嶋茂雄のものだった3という神聖な数字が、ナベアツに奪われた」という趣旨のことを書いています。
我が家でも、日常の様々な場面でオモロー!なパパを演出するのに盗用しまくりです。
湯船につかる時、熱を測る時、目薬を差した後・・・
無邪気な(もうすぐ)4歳児はかなりウケてくれます。
しかしこの芸、僕は単純に「面白い」という以上に評価しています。
まず、「3の倍数と3がつく数字の時」という設定は、シンプルさと複雑さの点でギリギリのバランスを保っています。小学生でも理解できるギリギリのライン。そして、言語と文化を超えて、誰にでも分かる数字に立脚していますので、笑わせる対象もワールドワイドです。
そしてそれを読み上げる時、「3の倍数と3がつく数字」というのは、リズムとして絶妙だと思うのです。リズムが絶妙ということは「緊張と緩和」という笑いの基本において、そのバランスの妙にも繋がっていくのです。
これが「2の倍数と2がつく数字の時」では、早すぎるし、4以上では間が空きすぎます。
「3の倍数と4がつく数字」というように違う数字を組み合わせるとシンプルではなくなり、純粋性が損なわれます。
そのリズムを図にするとこのようになりますが
ほんの1分程度の芸の中に、音楽的な「章」を表現している、というのは言いすぎでしょうか。
世界のナベアツは、普段は放送作家をしているだけあって、この「設定」自体がとても理知的で計算的だと思うのです。
そして、「アホになる顔は自分の耳を噛む様に」とか「少し食い気味(早め)にアホになる」といった細かなポイントも重要です。
特に、数字を読み上げるという単調なリズムの中で、アホになる時だけ少し食い気味になるというのは、ジャズのようなアーティキュレーションを思わせます。
この芸は、「発見」による笑いだと思うのです。笑いとはほど遠い数学的な設定でここまで人を笑わせることができるのだ、という「発見」です。
我々は空間を扱いながら、何かを「発見」できるのか。
間違いの無い手法ばかりを洗練させていくのではなく、時にはリスクを犯して「発見」を目指していきたい・・・などと、お笑いの話を結ぶのは出来すぎですか?